ったりするだろうと思う。僕としてはこの作品が僕という人間の質を凌駕して存続することを希望するだけである。
第三にこの小説は南ヨーロッパで書かれた。一九八六年六年十二月二十一日にギリシャcミコノス島のヴィラで書き始められ九八七年三月二十七日にローマ郊外のアパートメントホテルで完成された。日本を離れたことがこの小説にどう作用しているのかは僕には判断できない。何か作用しているような気もするしc何も作用していないような気もする。ただ電話も来客もなく仕事に熱中できたことは大変にありがたかった。この小説の前半はギリシャでc途中シシリーをはさんでc後半はローマで書かれている。アテネの安ホテルの部屋にはテーブルというものがなくてc僕は毎日おそろしくうるさいタペルナに入ってcウォークマンでサージャンとペパーズロンリーハーツクラブバンドのテーブを百二十回くらいくりかえして聴きながらこの小説を書きつづけた。そういう意味ではこの小説はレノンマッカートニーのalittlehelpを受けている。
第四にcこの小説は僕の死んでしまった何人かの友人とc生きつづけている何人かの友人に捧げられる。
一九八七年六月
村上春樹
:yuzhiyuyi整理
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